点と線
点と線


 彼と彼女は二匹の金魚を飼って、一つ屋根の下で暮らしていた。
 赤くてやせっぽちな金魚は四角い水槽に入れられて、毎日退屈しながら水草をつついたり、一日に二度訪れる食事の時に喜んだりしてひらりひらりと暮らしていた。
 赤い色の似合う彼女は毎日アルバイトと大学の授業に追われて忙しかったけれど、やせっぽちな彼は金魚たちのように、毎日退屈しながらテレビのリモコンをつついたり、朝は寝ているので朝食は取らず、一日二食の食事に喜んだりして、仕事もせずに彼女に頼ってのらりくらりと暮らしていた。
「テンちゃんは頭が悪そうでかわいいなぁ」
 テンちゃんというのは彼がつけた金魚の名前で、由来は下腹部に黒く小さな点があるから、という単純なものだった。
 テンちゃんにはセンちゃんというパートナーがいて、それには彼女が、彼が「点」という名前をつけたので必然的に「線」という名前をつけていた。彼女曰く『点と線』という本のタイトルが由来で、なかなか深い意味がそこにはあるらしい。
 彼女は度々その『点と線』という本について彼に語っていたりしたが、彼はあまり文学というものに興味がなかったし、難しいものに頭を悩ませる事が好きではなかったので、彼は彼女の話してくれたことをろくに覚えてなどいなかった。彼は、ただセンちゃんというのは深い名前なんだなぁ、としか思っていなかった。
 そんな、深い意味の名前を持ったセンちゃんが死んでしまったのは、彼女が朝早くから大学へでかけた時間と、彼が遅い朝をむかえて、起床した時間の間だった。
 エサをあげようとして、センちゃんが水面に浮かんでいるのを見つけ驚いた彼は、チョコレートの入っていた空き箱にティッシュを詰めて小さな棺を作り、センちゃんをそっと中に入れてあげた。
 センちゃんの下腹部は、そこだけ鱗がはがれてぼそぼそとした肉が見えていた。まだ飼って間もない頃だったから、死因は寿命などでなく、明らかに共食いだった。
 テンちゃんとセンちゃんは仲が良かったように思えた。でも、二匹は追いかけっこをして遊んでいたのではなく、つつきあってじゃれていたのではなく、蝕むように襲い合っていたのだ。
 彼は、センちゃんの入ったチョコレートの箱を持って、近くの公園まで埋めに行った。大きな木を選んでその根元に埋めて、彼はベンチに座った。そして、温かな陽射を受けながら、頭を悩ませて考えごとをした。辺りには誰もいないから、とても静かだった。
 彼女にセンちゃんが死んだことを話したら彼女は悲しむだろうか。彼はそれが気がかりで、彼女にはっきりと伝えるべきか、やめておくべきか迷っていた。
 夕方になると、彼女が威勢のいい声をあげて帰ってきた。
「ただいま。今日はいろいろお得しちゃった」
 玄関から上がると彼女はすぐに台所へ向かって、鼻歌を歌いながら買った物を冷蔵庫に詰め込んでいた。彼は彼女の機嫌の良さそうな背中を見ながら、昼にベンチで考えた決心を告白した。
「俺たち、やっぱり別れようか」
 彼女は振り返った。言わなくても、顔には「どうして?」と書いてあった。
「俺もこれ以上迷惑かけてられないし、それに、おまえはもっとまともなやつと付き合った方がいいよ」
 彼女は息を呑んだ。
「ここをでたら、お金とか、住む所はどうするの?」
「なんとかなるよ」
 彼は立ちあがると、昼間のうちに準備しておいた紙袋一つ分の荷物を取って、靴を履きはじめた。
「じゃあね」
 そう言って、彼は彼女に引き止める時間すら与えずに出て行ってしまった。
 彼女は部屋で一人、心を空っぽにして、しばらく途方に暮れていた。でも、いつかこうなるだろうと解っていたので泣いたりはしなかった。
 二人は、どうしても釣りあわなかったのだ。それでも惹かれあっていたから、無理をしていた。
 気がつくと、水槽の中の金魚が一匹だけになっていた。朝は二匹いたはずなのに、なぜ急にいなくなってしまったのだろう。その理由は、彼に聞かないと解らない。
 万物は点と線によって作られている、という話をしたことを彼は覚えているだろうか。
 やせっぽちで頼りなかった彼は、これからひとりで暮らしていけるのだろうか。



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