そうして
そうして


「今日は風が強いから危ないよー」
 海沿いの帰り道。ナオはこの防波堤の上に乗るのが好きで、中学一年の時からずっと変わらずこの上を歩いてきた。まだ冷たさの残る風が、ナオの膝丈まである制服のスカートを膨らませる。
「じゃあ、命綱して」
 命綱とは、私たちが手を繋ぐことだ。私が防波堤の下からナオが海側に落っこちないように繋いでおく。
「ねぇマヤ。この曲覚えてる?」
 ナオは風になびく長い髪をうっとうしそうに右手で押さえて、懐かしい曲を歌った。風にかき消されてしまいそうだけど、しっかりと突き抜ける高い声。
「覚えてるよ。中一の時に合唱コンクールで歌ったやつだよね」
 懐かしいね、と言って、二人で声を合わせて歌った。私がアルトで、ナオはソプラノだった。その時の私たちはまだそんなに仲がよくなくて、ナオも私も、違うグループにいた。私たちは歌う事が得意で、二人ともパートリーダーだったから、リーダーたちの話合いの時をきっかけによく話すようになって、今ではかけがいのない親友になった。
「金賞とったんだよね」
 二年前の記憶。あの時の喜びや感動は、もうまく思い出せない。私たちは中学三年生になったのだ。
 一年生の時、三年生がすごく大人に見えていたけれど、実際のところ、今の私はなんにも変わっていない。これから何歳になっても、もしかしたらずっとこの気持ちのままで、外見が変わっていくだけかもしれない。大人になるって、どういうふうになっていくのだろう。
「もうすぐ卒業するの、嫌だな」
 私が呟くと、そう?とナオはなんの問題もなさそうに答えた。私は少し焦って、
「だって私たち別々になるんだよ。毎日一緒にいられなくなっちゃうんだから、寂しいよ」
 と、言った。
 ナオは自分の足元を見ながら、何も言ってくれない。
「ナオは寂しくないの?」
 ナオは顔をあげて、真っ直ぐ前を見ながら優しく言った。
「寂しいよ。でも、メールもあるし、またみんなで集れるよ」
「そうだけどさぁ」
「みんなもそう言ってるし。引っ越すわけじゃないんだから」
 私はうん、と相槌を打って、夕焼けの暖かそうな光をてらてらと反射させている、ひどく冷たそうな青黒い海をただただ眺めていた。
「高校いっても、マヤだけが親友だから」
 すると、ナオは照れ笑いをして急に私の手を放した。カバンを足元に置くと体を海に向けて、夕日の逆光でナオがシルエットになる。
「ちょっと、危ないよ!」
「大丈夫!」
 そう叫ぶと、ナオは防波堤からなんのためらいもなく飛んだ。私は突然の出来事に驚いて、咄嗟に堤防から身を乗り出した。ナオは自分の身長の倍はある高さを落下して、小さな悲鳴を上げて砂浜に着地した。膝と両手をついて、紺色の制服が砂まみれになっている。
 ナオは笑って、こっちを見上げた。
「何してんの!」
「これ、一回やってみたかったんだ」
 すっきりしたー、と気の抜けた声をあげて立ち上がると、すぐに砂をはたいて走り出した。階段を探しているようだ。
「あれ?ないや」
「うそ。どうするの?」
 元の場所に上がれなくなったナオは、笑い声をあげてかなり先まで走り続けて、
「ねえ見て、水がきれー」
 と、ときどき波とじゃれたりしながら、ようやくボロボロに錆びたはしごを見つけてあがってきた。
「よかったー。戻れなくなっちゃうかと思った」
 ナオはどんな時でも笑顔で、羨ましいくらい向こう見ずだ。あまり悩むこともないようだし、嫌なことはすぐに忘れてしまう。私は逆で、いつも何かを不安に思って、素直じゃない。ナオは、正反対の方が相性いいんだよ、とやっぱり笑って言っていた。でも、それじゃ私ばっかりが不利じゃない。何だって一緒がいい。
 明るくて無邪気で向こう見ずなナオは、子供っぽいけれど、本当はどんなに冷静できどったコよりも大人だったのかもしれない。秒刻みの生活を、楽しむことが一番大切だということをナオは知っていたのだ。悩んだり、つまらなそうな顔ばかりしていてもどうにもならないと気づくことは、スケールが大きくないときっとできない。
 私は三年間、ナオみたいになれたらいいのに、と思い続けてきた。
 ナオ。今、私が一番不安なのは高校生になってナオが思い出になった時に、私がナオを嫌いになってしまうことだよ。私たちはメールをしても、電話で会話をしても、違う高校に行ったら遠い関係になってしまうってこと、私は知ってる。
 会わない時間の中で羨ましかった気持ちは嫉みに変わって、人は悪いことばかり記憶に残ってしまう生き物なんだよ、ナオ。
 
 卒業式の当日は、私たちは下級生の作ってくれたおそろいのコサージュを胸につけながら、賑やかな教室の中でも一際顔を赤くして泣いていた。私は恥ずかしいぐらい泣きじゃくって、ナオも鼻をすすって泣きながら、
「大丈夫だよ。マヤはしっかりものだから、誰とでも仲良くなれるよ」
 と、言った。私はその言葉にとても安心させられて、高校に入学してもまた一緒にいてくれる友達が、ナオ以外でもかまわないからできればいいと、ひっそり思った。
「そうかなぁ?」
 その時の感情が開放感に似ていた時点で、私はナオとのこれからをすっかり諦めていたのだ。でも、そう言ってくれたナオも、その言葉に甘える私と同じようにどこか冷静だったのかもしれない。

 高校に入学して2年目になった5月。もうすぐ夏が来て、海水浴をする人のせいで海は今よりもっと濁るだろう。私は自転車で、あの時と同じ海沿いを帰っていた。鳶が、生暖かい風の中でゆったりと旋回している。
 私は自転車を止めた。防波堤の上に立ってみる。夕日の優しい光がより全身に降り注いで暖かい。ずっと先の道まで見わたせて、視野が広がった。ナオは、いつもこの風景を見ていたんだ。そして、私はその下の陰ったところでナオの手を握っていた。
 体の向きをかえて、あの時のナオのように私も飛び降りてみようとした。けれど、やっぱりそれは足がすくんでできなかった。
 私は一人きりで、小さく笑った。
「私にはやっぱり無理だよ」
 私はいつでも何かを不安に思って、素直じゃないまま大人になりたいと思っていた。高校生になってだいぶ経った今でも、あの時より大人になったかなんて、はっきりとは言えない。大人になるってどういうことだろう。それってもしかすると、一生のテーマなのかも。
 ナオ。今、どうしてる?
 私はあの時より少しだけ明るい性格になって、しっかりやってるよ。





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