スクールミント
スクールミント

 高校に入って三年目になっても、クラス全員の名前を覚えるには結構な時間がかかる。前に同じクラスになった事のある人はともかく、それ以外の人はみんな紺色の制服をきた同じ人に見えてしまうからだ。
 でも、遅刻をしてくる人は覚えやすい。授業中に教室に入るのは目立つし、出席簿をつけるときに教師が名前を聞くから。
「おはよう。お名前は?」
「油井です」
「苗字は?」
「油井です」
 ユイちゃんは遅刻魔でお弁当もいつも一人で食べていたし、珍しい苗字だったからすぐに覚えられた。
「あのこ、タバコがばれて停学してたらしいよ」
「あの油井ってこ?」
 彼女の噂にはいろんな種類があって、本当のことを知ってる人なんていないのかもしれないけど、どれもこの学校では珍しい噂ばかりだったから、自動的に彼女は疎外されていた。でも普段のユイちゃんはただ遅刻がちなだけで、休み時間もずっと席についている大人しいタイプにしか見えなかった。
 噂は、インフルエンザと同じくらいのスピードでクラスに広まる。ユイちゃんは席に座って頬杖をつきながら、そのスピードを眺めていたんだと思う。
 私がやっと全員の名前を覚えるようになったころ、体育祭の準備が始まっていた。それと同時に、ユイちゃんは学校を休みがちになっていた。体育祭には決めなくてはならない細々としたことがあって、欠席者の分は勝手に決められないという勝手な理由でユイちゃんの欠席は煙たがられた。それでいてユイちゃんがいても、人数の関係でこんがらがって、ユイちゃんはどうしても邪魔ものにされた。ユイちゃんは雰囲気が悪くなるたびに「私はあまりでいいから」と明るく言った。体育祭予行の日には来ていたけれど、当日にはみんなの予想通り、彼女は来なかった。
 ある日、私は廊下でユイちゃんを見つけた。いつもは使われない暗い階段を昇っていくので、私は思わず「どこにいくの」と声をかけてしまった。すると彼女は半身だけ振り返って、感じよく手招きをした。
 階段を昇りきると、古びた鉄の扉になっていて、すぐに屋上に続いている物だと解った。鍵が閉まっているので、私はユイちゃんが何をしに来たのか不思議に思っていると、彼女は内緒ね、と言ってポケットから取り出した鍵を見せた。カチリと小さな音がして、私たちは屋上に出た。初夏の陽射が、眩しくて気持ちよかった。
「その鍵借りてきたの?」
「ううん、スペア」
「えーっ」
 彼女は悪戯そうに笑った。
「なんでそんなの持ってるの?」
「一度来たら気に入ったの」
 それだけ言うと、彼女は鉄の柵に手をかけて深呼吸をした。私も半信半疑のまま、その横に立った。
「平岡さん、ガム食べる?」
 私は名前を呼ばれて、少し驚いた。今まで大した会話をした事もなかったから、まさか名前を覚えられているとは思っていなかった。
「ありがとう」
 私は、本当に笑ってお礼を言った。もらったガムはクールミントで、紺色の容姿をしてかしこまったペンギン達が、全く同じ向きをむいて立っている。
「うれしいな」
「なにが?」
「私はクラスで嫌われてるのに、平岡さん声かけてくれたから」
 彼女はまた悪戯そうに笑った。私は返事に少し困った。
「みんなはね、ユイちゃんの噂に驚いてるだけで、本当にユイちゃんのことが嫌いなわけじゃないんだよ」
 嬉しそうに、照れくさそうに笑って、彼女は「ありがとう」と言った。
「あー。タバコ吸いたいなぁ」
 風は生暖かかったけれど、ユイちゃんの短い髪は涼しそうになびいていた。見下ろす運動場では、体育の授業に備えた生徒たちが散り散りに何かしていた。
「ここにいるのって、下からばれないかな」
「あ、そろそろチャイム鳴るね」
 ここからは時計棟も良く見える。
「ほんとだ。行こう」
 当たり前のように歩き出した私に、ユイちゃんは首を振った。
「先に行ってて」
 私は言われた通りに先に戻ったけれど、ユイちゃんは、終礼になるまで帰ってこなかった。あの時終礼で、先生にどこに行っていたのかと聞かれて、ユイちゃんがトイレです、と答えた時、私は思わず含み笑いをした。
 私はあの時からユイちゃんと特別な関係になれた気がした。手招きをされて、うれしかったのは私の方だった。
 それから大して長い時間も一緒にいられないまま、私たちには夏休みがきた。夏休み中、今頃ユイちゃんはどうしているだろう、と私はひっそり考えていた。新学期からは、もっと話しかけよう。
 受験勉強のためだけにあったような長い夏が終わって、待ちかねた二学期が始まった。始業式の行われる講堂で、私はユイちゃんを探した。でも、ユイちゃんは学校に来ていなかった。
 それっきり、私たちが会うことはなかった。
 また色々な噂は流れているけれど、どれが本当なのかなんて誰も知らない。
 ユイちゃんはいつも一人で何を考えていたんだろう。屋上でのあの時、私は教室に戻らずに彼女の横にいればよかった。






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