フラボノ

フラボノ    


 私は小さな頃から乗り物酔いしやすい体質で、家族でどこかに出かける時はいつでも嫌な顔をしていた。電車やバスはもちろんだけれど、一番よく酔ったのは車だった。とにかくシートに染み付いたタバコの臭いが堪えられなくて、乗ったらすぐに窓を開けていた。
 窓を開けて、冷たい風に顔を出して喘ぐみたいに息をしていると、後ろからお姉ちゃんに「閉めて」と必ず言われて、私は閉めなくてはいけなかった。窓を閉めた車内は、エアコンとシートの臭いが生暖かくて、私の鼻と胃をひん曲げた。
「臭い」
 私はやっぱり堪えられなくて、もう一度窓を開けた。車は走っているから、風が勢いよく入ってくる。
「閉めてっていってるでしょ」
「そうよ寒いわよ」
 今度はお母さんにまで言われて、私はやっぱり閉めた。閉めて、自分のコートに鼻をくっつけた。スースーと音を立てながら、なんでお姉ちゃんはこの臭いに酔わないでいられるんだろう、といつもそればかり思っていた。慣れると私も感じなくなるのかな、それとも鼻が利かないのかな。
「ひどいよ」
 私が文句を言い始めると、お姉ちゃんはいつも小さなポーチから板ガムを出してくれた。ミントのきつい物で、臭いが紛れるという理由だった。私は少しずつかじって、噛んで味がなくなってはまたかじって口に入れた。
 実はこのガムには辛い思い出があって、一度に全部口に含んで、泣いた記憶があるのだ。辛すぎて、しばらく口を開けて呼吸できなかった。ほとほとと泣いている私をみて、お姉ちゃんにはいつもつっついたりしていじめられた。歯を見せるだけで、スッとして悲鳴を上げてしまうのだ。いつもドキドキしながら口に入れて、隣なりのお姉ちゃんを気にして肩をすくめていた。
 お姉ちゃんのガムは魔法のガムだった。あれを噛んでいると、やっぱり気分が悪くならなかった。
 今思い出すと、あの白いパッケージのガムはフラボノだった。あれから十年近く経って、今でも恋人に会う前にはよく噛んでいる。味は変わってないけれど、少し甘く感じるのはきっと気のせいだと思う。
 あのときの車は新車に変わってもうない。それに加えて、私は毎日の通学にバスを利用しなくてはならなくなったから、乗り物酔いの癖は慣れとともに消えていった。ガムを噛むたびに私は彼女を思い出す。私も少し、大人になったのだろう。
 最近お姉ちゃんは結婚をして、あのパッケージみたいに真っ白な雪の降る北海道に住んでいる。


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